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hirotec interview 
その美意識の源流について

日本のエレクトロニカシーンの中には、繊細さや儚さを美学とする特有の文化があるように思う。

2000年代半ば、プライベート・レーベルとしてスタートした『elegant disc』は、この美意識を共有する多数のアーティストを世に輩出してきた。

agllisやfetic、Lupeuxなどメロディアスな展開を基調とするアーティストが多数所属し、同レーベルが発掘したSerphは、ジャズやフュージョンの影響を受けながらドラマティックなトラックを次々に発表し、今やポップ・エレクトロニカシーンにおいて確固たる地位を築き上げている。

彼らのトラックは、エレクトロニカが音楽機材の性能に多分に影響を受けることや、メロディアスな展開を持つことに起因し、やや「技巧派」な印象を受ける。

これに対し、同レーベルには一つの機材にこだわり、その性能を突き詰めようと模索する「職人」も存在する。2017年に同レーベル3枚目のアルバム『再開の星にて』をリリースし、独自の耽美的な世界観を作り上げてきたhirotecだ。

今回は、そんな彼の音楽的な背景や制作環境の変化についてインタビューさせてもらった。


― 音楽的には、ヒップホップの影響を多く受けていたとのことですが、ジャンルを問わずこれまで影響を受けた楽曲やアーティストをいくつか教えてください。

音楽的影響はヒップホップよりもテクノの方が大きいです。

小学生の頃に7つ離れた兄から勧められて聴いたYMOや坂本龍一の影響が大きく、兄からカセットテープを借りてラジカセでじっと音を聴いていたのが自分の音楽の原体験です。すでにYMOは解散(散解)していたのですが、ずっと聴いていました。最初は『ライディーン』や『テクノポリス』が好きだったのですが、聴き続けていくと『BGM』や『テクノデリック』などのちょっと暗い、でも美しい音に惹かれていきました。

中学生になると今度は兄がジャズピアノをやるようになり、そこでビルエバンスやコルトレーンを知りました。兄がずっとビルエバンスのライブビデオを繰り返し観ていたので、その影響も大きいかもしれません。

そして高校の頃にアニメの『AKIRA』。

― あの映画がhirotecさんの音楽製作にどのような影響を?

映画も自分は大好きで小学生の頃にジャッキーチェンやスターウォーズなどの80年代のSFX映画が好きでした。特に『ブレードランナー』を小4で観てその暗いけど美しい世界観に凄い衝撃を受けました。で、アニメ映画『AKIRA』に高校でハマりまして。 たまたま雑誌を読んでいたら『AKIRA』の作画に参加していた森本晃司という人がケンイシイというテクノアーティストのPVを作ったという記事を読んで、そのPVが入っているCD-ROMが付いているケン・イシイの『ジェリートーンズ』を買ったのがテクノとの出会いでした。

― ご自身のブログで、3rdアルバム『再開の星にて』の「95-15」という曲は、ケンイシイと関連があることを書かれてますね。

丁度ケンイシイの『ジェリートーンズ』でテクノに出会ったのが95年で、[95-15」。『95-15』を作った時に、初期の大好きだったケンイシイの影響が大きい曲だなと思い、ケンイシイの『ジェリートーンズ』がリリースされた1995年と、自分がこの曲を作った2015年の間の時間の流れをテーマにしました。

― テクノの影響が強いとのことですが、hirotecさんの曲はテクノの基調とする硬質なリズムを持つ曲はそれほど多くなく、また、全体としてドリーミーなものが多い印象ですが、この起源はどこにあるとご自身では考えていますか? よくrei harakamiを引き合いに出されるようですが、ご自身はそれほど影響はないとおっしゃっていますよね。

MC-307を買った当初は四つ打ちのストレートなテクノも作っていました。今SoundCloudにアップされているアルバム『train window』などがそうです。当時はテクノDJもやっていたのですが、段々とフロア向けのテクノよりも日常を表現したテクノを作りたいと思うようになり、丁度その時に宮澤賢治の影響が大きかったのもあると思います。

日常の中にある美しさが宇宙のような壮大なものに繋がっているような感覚を宮澤賢治から影響を受けたと思います。

あとそこには高校の先生をしながら都市鳥の研究をしていた父の影響の自然観も大きいと思います。

レイハラカミの影響は、作っていた当時は全くなかったんですよね。聴いてもどれも同じに聴こえてピンとこなくて。あと同時代のエレクトロニカと言われる音楽にもあんまりピンとこなかったです。やはり初期のケンイシイやデリックメイやデトロイトテクノやエイフェックスツインの影響が大きいと思います。

あと、母がピアノの先生なのですが、母が弾いていたドビュッシーの曲がとても好きでした。そこの影響もあると思います。ちなみに自分は母からピアノを習わなかったので、鍵盤が弾けず、音楽の知識もなく、今でも適当に弾いていい感じのところをシーケンスしています。

そうそう、nujabesの影響も大きかったです。nujabesがヒップホップでやった事をテクノに置き換えられないかなと思って曲を作っていました。

― なるほど。同時代の日本のエレクトロニカと親和性はかなりあるにもかかわらず、音楽的バックグラウンドはかなり独特ですね。次に、これまで3つのアルバムをRoland MC-307だけで製作されていましたが、昨今の音楽機材の中では、決して高価でも高性能なわけでもなかったMC-307を使い続けた理由は何でしょう。hirotecさんは道具への愛着のようなものが深いのでしょうか。

確かに道具への愛着も大きくずっと同じ物を使う傾向はあると思います。一番最初に買った機材がMC307だったのですが、307はいわゆるクラブミュージック的な音色だけでなくフルートやギターなどの生音っぽい音色も入っていて幅の広い音が作れる機材でした。

あといじればいじるほど、いろんなことが出来る機材だったと思います。まあ他の人がそこまで一台の機材を使い倒さないのかなと思います。DJがひたすらレコードを掘るような感じで、自分は307の音を掘っていたような感じでした。

今は307が壊れてしまい、KORGのelectibe2を使っていますが、他の機材を使ってみると、307は細い打ち込みもできるし、本当によく出来た機材だっと気付かされます。

― electribe2を使ったライブはyoutubeにもアップされていますね。今後、electribe2を使って音をつくるにあたり、作品の世界観にも影響が出るでしょうか。

electribe2は307よりも出音数が少なく、打ち込める小節数も4小節までなので、かなり展開を工夫しないと曲として成り立たなくて、自分の中では307とはまた違った音だと思うのですが、ライブや音源を聴いてくれた人の感動を聴くと、307の時と音も世界観も変わらないらしくてビックリするみたいです。

― では、今後もhirotec節は続いていきそうですね。

作っている人間が変わらないのでこのまま行きそうですね。相変わらず機材一台で完結するようなスタイルだし。

― 2012年リリースの 『ひびきは街から』以降、ご自身の楽曲がelegant discから発売されて生活面、音楽環境や考え方に変化はありましたか?

『ひびきは街から』は今まで作ってきたCD-Rのアルバムからレーベルオーナーが選曲したベスト盤みたいなアルバムでした。今までいろんなレーベルに作品を送っていたのですが、全く返事がない中、elegant discだけが自分の音に反応してくれて、CDとして発売されたのはとても嬉しかったです。

また発売当時の秋葉原のや渋谷のタワレコがとてもプッシュしてくれたのもとても嬉しかったです。ずっとコツコツ作ってきた音が認められたのはとても大きかったです。

生活面は全く変わらないですね。生活面が変わったのは結婚した事とそのあと子どもが生まれたことの方が大きいです。

― お子さんがお生まれになったこと、その存在は楽曲においても大きな意味をもっていますね。2nd、3rdアルバム、特に3rdの「再会の星にて」では、アルバムジャケットも楽曲も、お子さんの存在が色濃く反映されていますね。

曲のテーマが自分の家族の日常になることが多くなりました。

2ndだと『ちいさなちいさな』が娘の保育園の子どもたちのことをテーマにした曲です。 3rdの「再会の星にて」はジャケットも娘に描いてもらったり、『raincoat dance 』は娘がレインコートを着て出かける時の事だし、『大きな公園』はよく遊びに行く公園がテーマでした。そもそもアルバム『再会の星』は息子の誕生が大きなアルバムテーマで、息子が生まれこの星で巡り合った事をテーマにしました。

― 楽曲と柔らかな日本語のタイトルを通して、hirotecさんの日常的なものを大事にする視点が感じられます。最後にhirotecさんの今後の音楽活動のご予定、展望などがあれば教えてください。

今4枚目のアルバムに向けて曲作りをしています。4枚目のアルバムは自分でBandcampのアカウントを開いで、そこで発表できたらなと思っています。その間時々新曲をsoundcloudにアップするのでぜひチェックしてくれればと思います。

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