「ゲーム脳」はなぜ社会に「必要」だったのか

現代のエンターテインメントにおいて、ゲームは欠かせないコンテンツだ。

オンライン対戦環境の充実、ゲーム実況動画やライブストリーミングの隆盛、そして来たるべき5Gに向け、ゲームはますます多くの人々の間で楽しまれるようになっている。

しかし、ここまで多くの人が何かしらのかたちでゲームに触れるようになるまでには、ゲームに対する多くの誤解や中傷の歴史があった。

今回は2000年代初頭に発表された「ゲーム脳」という奇妙なムーブメントを辿ることで、その当時「誰が」「何を」求めていたのかを探ることにしたい。

奇妙なアプローチに見えるかもしれないが、この「ゲーム脳」を社会が指示した背景には、得体の知れない、理解の及ばない「他者」に対する短絡的な解答を人々が求めた、2000年代の鬱屈とした環境が見え隠れしているのである。

「ゲーム脳」とはなにか

ことの発端は、日本大学文理学部体育学科教授で脳科学者の森昭雄が2002年7月に出版した著書『ゲーム脳の恐怖』にある。

ここで彼は独自に開発した簡易脳波計により、高頻度でゲームをする人は認知症患者と類似した脳波が計測されたとし、これをゲームによる脳への悪影響だと主張する。

森の論考には、「α波」、「β波」という用語が登場する。

これらは一般的な医学用語として存在するが、森はこの一般的な定義とは異なる独自の使い方をしている。

一般的な定義におけるこれらの脳波は、瞬きをするなど些細な視覚的変化によっても両者が簡単に入れ替わるものであるが、森は「α波」に対して「β波」が低いことを「痴呆症」と見なしている。

また、森が独自に開発した簡易脳波計が示すデータの主成分は筋電図であり、このデータから脳波のみを抽出することは不可能であると、彼の実験の再現性を疑問視する声も当時から多く見られた。

このような批判にもかかわらず、彼の主張は一時期日本で大きな影響力を持つことになるのである。

森の「ゲーム脳」研究

森のゲーム脳研究は、当初から予定されていたわけではなかった。

ここでは研究のはじまりから定義づけ、社会に受容されるまでの一連の流れを振り返ることにしよう。

研究のはじまり

森は当初から「ゲーム脳」なるものを研究しようとしていたわけではない。

彼は当初、高齢者の認知症レベルを定量化する簡易脳波計「ブレインモニタ EMS-100」の開発を行っていた。

2000年頃、この簡易脳波計の開発の委託先であるソフトウェア開発会社に所属するプログラマー8名を被験者として、開発途中の簡易脳波計で脳波測定を試みる。

そこで彼は、「β波」の出現割合が極めて低い、彼の定義における「認知症」状態の脳波が発見されることになるのである。

驚いた彼はプログラマー以外の者にも被験者を依頼し、脳波を測定する。

すると、こちらの被験者の脳波は正常と判断された。

そこで森は、このプログラマー8人の実験結果は次に挙げるようなことが原因であるとした。

・彼らの仕事はずっとPCの画面を見つめており、視覚情報がほとんどを占め、
 前頭前野が働くのは勤務時間内でもほんの一瞬であり、継続的な活動が見られ
 ない。
・集中したり考える時間よりも、ただ画面をみている時間のほうが圧倒的に長
 い。
・職場内でのコミュニケーションが少ない。
・家に帰ってもディスプレイに向かうことが多い。
・「言われてみると、自分でも少しオタクっぽいこともある」とプログラマーの
 1人は話していた。

そして森は、「β波」が異常に少ない状態を前頭前野の機能低下とし、視覚情報が中心となるテレビゲームをプレイしている状態の脳波を測定するようになるのである。

「ゲーム脳」の提唱とその分類

森はまず、自身の所属する日本大学の学生を被験者とし、日々ゲームをプレイする学生10人に簡易脳波計で脳波の測定を行った。

すると、彼らは一様に「β波」の出現が不十分だったのである。

次に、森は無作為抽出により選ばれた幼児から大学院生までの約300人を対象に、ゲーム中の「β波」の出現を検証する。

そして、この実験の結果ゲーム中の脳波に「β波」の出現が不十分であったとし、「通常の脳」と「ゲーム脳」の違いを独自の分類により示すことになるのである。

彼は著書の中で、「ゲーム脳タイプ」と比較される脳をそれぞれ、「ノーマル脳タイプ」、「ビジュアル脳タイプ」、「半ゲーム脳タイプ」、「ゲーム脳タイプ」と分類した。

ノーマル脳タイプ

「ノーマル脳タイプ」とは、彼の著書によれば、ほとんどテレビゲームをプレイしない人の脳に見られるタイプであるという。

実験中ははじめてゲームをプレイしているため、次のことを意思決定しながらプレイすることとなり、結果として前頭前野が活動し、「β波」の活動が活発であるという。

彼の著書『ゲーム脳の恐怖』では、このタイプの学生を「印象として、この人は礼儀正しく、学業成績は普通より上位だった」と述べている。

ビジュアル脳タイプ

「ビジュアル脳タイプ」は、視覚情報によって前頭前野を動かさず手を動かす人に見られるタイプであり、このような行動傾向により前頭前野の活動の必要性がなく、「β波」が減っていくものであるとしている。

ビジュアル脳タイプは「β波」の発現が低いにもかかわらず、森はこのタイプを「優秀な人間が多い」としている。

半ゲーム脳タイプ

「半ゲーム脳タイプ」とは、ゲームを週に3~4回、1日3時間以下プレイする人に見られる脳のタイプだという。

森の簡易脳波計上においては、ゲームの開始と同時に彼らの前頭前野の活動は低下するとされている。

「後頭部中心の視覚系の回路が強固になっていると思われる」としている。

森によれば、このタイプの人は「キレやすい、物忘れが多い、集中力がないようだ」としている。

しかし、森のこの主張はデータによるものではなく、あくまで彼の推測の域を出ない。

ゲーム脳タイプ

ゲーム脳タイプは、小学生から大学生までで、週に3〜4回、1日に2〜7時間テレビゲームに接している人の脳波とされている。

森が言うには、このタイプの人は「前頭前野の活動が消失したといっても過言ではない」ほど低下した脳の状態になっている。

森はこのタイプについて、学業は平均以下でキレやすく、物忘れが非常に多いなどの特徴を挙げるほか、気が緩んだ表情が乏しい様子は認知症患者と酷似しているとも指摘する。

そして、森はこのような特徴がある子どもを見ると、ある程度ゲーム脳と見当をつけることができるという。

しかし、これらの特徴は被験者の自己申告や森自身の主観によるものでしかなく、著書にその裏付けとなるデータなどは一切記載されていない。

「ゲーム脳」の原因

森はゲーム脳についての分類をしたうえで、以下のようにゲーム脳を考察している。

・ゲームプレイ時は視覚・運動に関する神経回路だけが動き、「考える」ことが
 なくなる
・ゲームをプレイし続けると、前頭前野の活動低下が慢性化する
・視覚刺激になれた人はゲーム脳になりやすい

ここでお気づきの通り、森は「ゲーム脳」をゲームをプレイすることだけでなく、携帯電話やテレビなどの画面を見続けることによっても生じるとしている。

これらの視覚刺激を受け続けると、大脳皮質における前頭前野の活動が低下し、この部位が司る意欲の持続や感情の抑制がきかなくなるというのである。

また、森はこのゲーム脳状態をある程度「改善」させることが可能であると主張する。

改善方法としては、例えばお手玉をすることを提唱している。

森によれば、1日5分のお手玉を2週間程度行うことで、前頭前野の「β波」の活動が改善するという。

また、彼はインタビューの中で、「ゲームは1日15分までとし、3倍の時間読書をさせる」ことを推奨した。

「ゲーム脳」言説の社会的影響

森のゲーム脳に関する研究及びその発表は多くの批判を集めながらもベストセラーとなり、日本社会に広く浸透していくことになる。

2005年には森自身が小学校の生徒300人を対象とした調査を行い、先に紹介した「ノーマル脳」「半ゲーム脳」「ゲーム脳」という3種類の分類を行い、それぞれのタイプ別に生活の改善指導が行われるなど、教育現場にも森の理論が適用されることとなる。

また、当時重大な事件が起こり、犯人がゲームを嗜んでいたと判明した際には、メディアは森にインタビューを行い、ゲームによる脳への悪影響が原因ではないかと報道されることがあった。

特に当時は「キレる若者」や「オタク」、「引きこもり」などの存在や言葉が社会不安を増長させており、このようなカテゴリに属する者が事件を起こすと「ゲーム脳」との関連が疑われることになる。

ゲーム脳と少年犯罪に関する報道としては、長崎男児誘拐殺人事件、佐世保小6女児同級生殺害事件、寝屋川小学校教師殺傷事件、土浦連続殺傷事件、秋葉原通り魔事件などで取り上げられるに至る。

さらに、森は自身のゲーム脳理論を凶悪犯罪だけではなく、その時代の重大事故にも適用する。

その代表例が2005年に起きたJR福知山線の脱線事故である。

この大事故が起こった翌日、森は夕刊フジのインタビューに対して「ゲーム脳」が原因である可能性があると主張したのである。

JR福知山線の脱線事故では、遺体で発見された運転士の生前の仕事ぶりについて、過去に複数回のミスを犯していたこと、事故直前に運転士への呼びかけがあったが本人が反応しなかったことから、運転士は注意散漫で倫理的な行動がとれないという特徴がゲーム脳の症状と酷似していると述べたのである。

この森の発言は当日の夕刊フジに「運転士、異常行動“ゲーム脳”の特徴」という見出しとともに1面を飾ることになる。

さらに、森が2006年に著した『元気な脳のつくりかた』は、ゲーム脳も含む脳科学と子どもの教育をテーマにした本であり、日本PTA全国協議会推薦図書に指定されている。

このように、森のゲーム脳理論はマスメディアや教育現場にかなりの範囲で受け入れられ、ゲームやIT技術をバッシングする上での便利なキーワードとなっていく。

「ゲーム脳」に対する批判

ゲーム脳に関しては、数多くの批判が存在する。

ここでは、主な批判を紹介する。

「痴呆状態」の定義に関する批判

東北大学の川島隆太教授は、「ゲームソフトが人間に与える調査報告書」において、森の定義する「痴呆状態」の脳波について、次のような論理的批判をしている。

「痴呆者と同じ脳波パターンが、テレビゲーム中だけでなく、ソフト開発者や学生など、画面をみることの多い人の普段の状態でみられたと考えると、この脳波パターンが必ずしも痴呆者特有のものではない可能性を示すと考えるほうが妥当ではないか」

この批判は極めてクリティカルな批判である。

森は「ゲーム脳と呼ばれる人は痴呆状態と同じ脳波がある」という前提から問題提起をしているが、もしその脳波が一般的な状態の人間の脳波であるということになれば、彼が言う「ゲーム脳」なるものは通常の脳の状態と(少なくとも彼の開発した脳波計上において)変わりがないという結論になってしまうからである。

ゲーム脳の測定方法と解釈に関する批判

東京大学教授の馬場章は「ねとらぼ」の取材記事の中で、ゲーム脳は完全に間違いであると断言している。

彼は2つの理由から森のゲーム脳理論を批判する。

1つは「測定方法」の誤りである。馬場は通常の脳波には非常に大掛かりな機械を用いる必要があることを指摘した上で、森の開発した「簡易脳波計」を「漫画じゃないんですから、脳波はそんなに簡単に測れるものじゃない」と一蹴した。

2つ目は、「脳波の解釈」の誤りである。森は「ゲーム脳はゲームの刺激に慣れていくことにより、脳波が単純化していき、痴呆症に似た脳の状態になるため危険である」という。

しかし馬場は、これを単純に「脳がゲームに慣れてきた」という証明にしかならないというのである。

例えば将棋の羽生名人の脳波を見たところ、対局中彼の前頭前野はほとんど働いていない。森の主張によると、羽生名人すらもゲーム脳になってしまうという批判である。

さらに馬場は、森の「ゲーム脳は痴呆症患者と脳の状態が似ている」という主張と「ゲーム脳はキレやすいという特徴がある」という主張の間には整合性が見いだせないと指摘する。

この理屈では、痴呆症(認知症)患者がキレやすいということになってしまうが、そのような事実はないのである。

自閉症とゲーム脳の関係に関する批判

医学では自閉症を完全に先天的な脳機能障害として定義しており、後天的に生じる自閉症は一切確認されていないとしている。

ところが、森は2004年に出版された『ITに殺される子どもたち-蔓延するゲーム脳』という著書の中で自閉症は先天的なものだけが原因ではないこと、同年に鹿児島大学で行われた公開講座で「テレビやビデオが原因で自閉症の状態になる」「岡山では100人に1人が自閉症であるが、先天的なものは非常に少ない」と自閉症が後天的に生じうる趣旨の発言をしており、医学的知識が疑問視されている。

基本的な知識の欠落に関する批判

森は『ゲーム脳の恐怖』において、テトリスのようなゲームでは熟練者の方が前頭前野の働きが弱いと述べ、それがゲーム脳として脳に悪影響を及ぼしているのだと主張している。

しかし、前頭前野は元々手慣れた作業をしている時は活動しない部位として知られていた。

このように、森には専門的な知識が欠落しており、信用性に欠けるという意見が多数見受けられる。

また、「脳神経の専門家」としてメディアに出ることが多かったが、大学時代は日本大学文理学部体育学科、修士時代は日本大学大学院文学研究科教育学専攻であり、博士課程で同大学の医学博士を取得している。

このことから、彼自身は元々医学のスペシャリストとは見なされるべきではない。

考察 ─「ゲーム脳」を望んでいた者

このように、森の提唱するゲーム脳には多くの根本的な誤りや疑義があり、現在は多くの専門家たちにより疑似科学とされている。

また、森自身もこれらの批判に正面から立ち向かう反論を返すことができず、これらの批判を行う人はゲーム利権に関わる者であると断定するなど、非科学的な態度が散見される。

では、なぜこのような論理的に稚拙な疑似科学が一時的とはいえ社会を席捲したのであろうか。

筆者は、ゲーム脳のようなある種の「道具」を必要とする者たちが2000年代に確かに社会に存在したことが原因であると考えている。

ここでは、その「ゲーム脳」を望んでいた者たちを3つの視点から考察する。

インスタントな「他者」への理解を望む者

2000年代初期、若者の重犯罪が報道され、「犯罪の低年齢化」が叫ばれていた。

「キレる若者」などのキーワードがメディアを賑わせるなど、若年層への問題行動に社会が敏感な時期であった。

また、所謂「オタク」に対するバッシングは現在に比べてかなり強かった時期でもあり、凶悪犯罪のたびにその関連性が疑われる報道がなされた。

このような「キレる若者」「オタク」といった存在は、一般社会にとって「得体の知れない他者」として認識されており、彼らへの理解は「ゲーム脳」という単純な因果律によってインスタントに説明され、理解されたのではないだろうか。

社会は複雑であるが、複雑な社会を複雑なままに理解するには、大きなエネルギーが必要だ。

社会にとって得体の知れない「他者」を簡易的、効率的に「理解」しようと望む人々の目には、単純な因果律で若者やオタクを説明してくれる「ゲーム脳」というキーワードが非常に新鮮に映ったに違いない。

「他者」への支配を望む者

ゲームに夢中で勉強をしない子をもつ親にとって、「ゲーム脳」というキーワードは非常に便利な道具に見えただろう。

実際に、『ゲーム脳の恐怖』では編集者から次のようなメッセージが記されている。

『ゲームに熱中する子どもをお持ちのお父さん、お母さん!子どもたちを心から納得させて、自分でやめるようにさせることが、大切です。そのための、子どもでも理解できるゲーム中の脳波のデータを掲載しています。いっしょにこの本を読んでください。そして、自然の中で体や感性を鍛えること、親子・友人との触れ合いとコミュニケーションが、成長途上の子どもの脳にとってどんなに大切なことか、話し合ってください。』

また、当時バッシングの強かった「オタク」に対して、彼らを社会的に排斥したいという欲求、「切れる若者」という不安定な存在に大して「更生させる」処方箋となるなど、あらゆる層に大して「都合がよい」理論であった。

実際に、現在まで続くオタクに対するバッシングやニート・引きこもりの更生などの論調と森のゲーム脳理論における主張は驚くほど親和性が高い。

このように、「ゲーム脳」は社会における「他者」としての子ども、オタクなどに対する支配に対してある種のお墨付きを与えたと言える。

そして、恐らく彼らにとってゲーム脳が厳密に科学的であるかどうかは問題ではなかったのではないだろうか。

彼らにとって必要なものは、「他者」を自分の思うように行動させたり、批判したりするためのお墨付きとして必要な「科学」や「医学」、「教授」などの記号に他ならなかったのである。

そして彼自身が「他者」を理解するために

奇妙な言い方をするが、ゲーム脳という理論はまずはじめに森自身のために生み出されたのではないかという気がしてならない。

森の書籍や取材、講演での発言の節々から、彼のゲームそのもにに対する根本的な誤解や無理解を感じることができる。

あるインタビューではRPGを「人を殺して回るゲーム」と極端なを発言し、ある取材記事ではテトリスを「ソ連の軍隊が人を殺すための教育としてやらせていたもの」などでたらめな発言をしている。

また、先に触れた2004年の彼の著書は『ITに殺される子どもたち-蔓延するゲーム脳』であり、隆盛するIT環境に対する強い敵意が感じ取れる。

先に、ゲーム脳は社会にとっての「他者」である若者やゲームをする者を説明したり、支配するさいに道具的に役立っている側面があると述べたが、実は森自身にとっても彼らは「他者」であったのではないか。

森はゲーム自体に関する知識に乏しく、発達したITとそれを駆使する若者を理解できなかった。

森自身にとっても、否、森自身にとってこそ彼らは理解の及ばない「他者」であったのだ。

ゲーム脳というある種の「都合の良い」出来過ぎた道具は、森にとって得体の知れない「他者」を説明したり、都合よく方向付けるための道具として無意識的に生み出されたのかもしれない。

森自身と「他者」との間の距離はあまりに遠く、この距離を埋めるには「ゲーム脳」という幻覚作用のある偽薬を生みだす必要があったのではないだろうか。

もちろん、これは筆者の稚拙な推測の域を出ない。

虚数パン

インターネットカルチャー中心に執筆するライターです。

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